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『砂の器』(すなのうつわ)は、松本清張の長編小説。1960年5月17日から1961年4月20日にかけて『読売新聞』夕刊に掲載。同年光文社(カッパ・ノベルス)刊。
駅の操車場で起きた殺人事件を、東北訛りと「カメダ」という言葉を手がかりに追った社会派推理小説。特に傑作として高く評価されている。
社会的背景として当時のハンセン氏病に対する根強い差別を痛烈なまでに批判し、大きな話題を呼んだ。また、ミステリーとしては方言周圏論が事件の重要な鍵を握っており、地理学的・言語学的観点からも興味深い作品である。現在では時代変化によって、映像化されたように人間性による感情を押し出した方が作品として優れているとする評価もある。
ある夜、蒲田駅の操車場で一人の男の他殺死体が発見された。被害者の身元は不明で、唯一の手がかりは被害者の東北訛りと「カメダ」という言葉のみ。警視庁の捜査は難航を極め、一度は継続捜査となるが、警視庁捜査第一課の今西刑事と蒲田署の吉村刑事は持ち前の粘り強さで、
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をしながらも真実に近づいていく。
一方、そのころ「ヌーボー・グループ」とよばれる、若い世代で新しい芸術論を唱えるグループがいた。今西はその中の一人、評論家関川重雄の愛人・恵美子に接触。やがて本浦秀夫という一人の男にたどり着く。
本浦秀夫は石川県の寒村に生まれた。
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がハンセン氏病に罹患したため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と巡礼姿で放浪の旅を続けていた。秀夫が7歳のときに父子は島根県の亀嵩に到達し、駐在の善良な巡査・三木謙一に保護された。三木は千代吉を療養所に入れ、秀夫はとりあえず手元に置きのちに他所と養子縁組させる心づもりであった。しかし、秀夫はすぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。大阪まで逃れた秀夫はおそらく誰かのもとで育てられた、あるいは奉公していたものと思われる。その後、大阪市浪速区付近が空襲に遭い住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。当時18歳の秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀英蔵・キミ子夫妻という架空の人物を作り上げ、その夫婦の長男・英良として年齢も詐称し新たな戸籍を作成した。約10年後、和賀英良は、東京で新進気鋭の天才作曲家として世間の注目を集めていた。和賀は自らの出自と経歴の詐称が発覚する事を恐れ、自分の元を尋ねてきた三木を蒲田で殺してしまう。
今西は、三木殺害の真犯人として和賀を追い詰めていくなかで、
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の過去とハンセン病に対する差別の現実を垣間見てゆく。
映画版では、和賀英良が前衛作曲家(ミュージック・コンクレートや電子音楽を手がける音楽家)ではなく天才ピアニスト兼純音楽の作曲家に設定変更された。劇中での和賀は、過去に背負った暗くあまりに悲しい運命を音楽で乗り越えるべく、ピアノ協奏曲「宿命」を作曲・初演する。物語のクライマックスとなる、捜査会議(事件の犯人を和賀と断定し、逮捕状を請求する)のシーン、和賀の指揮によるコンサート会場での演奏シーン、和賀の脳裏をよぎる過去の回想シーンにほぼ全曲が使われ、劇的高揚とカタルシスをもたらしている。
「宿命」は音楽監督の芥川也寸志の協力を得ながら、菅野光亮によって作曲された。
この映画においてハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(現在の「ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし最終的には製作者側との話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、上映が決まった。
『シンセミア』は、2003年(平成15年)に
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から刊行された阿部和重の上下二巻にわたる長編小説。第58回毎日出版文化賞第1部門、第15回伊藤整文学賞小説部門受賞。阿部和重の代表作のひとつとされる。
概要
阿部和重の出身地である山形県東根市神町を舞台に、町と一族の歴史を描いた物語であり、50人を超える登場人物が交差する群像劇である。1999年からアサヒグラフで連載を開始し、その後小説トリッパーにうつり4年の歳月をかけて完成した大作である。この小説は神町を舞台とした『ニッポニアニッポン』、芥川賞受賞作である『グランド・フィナーレ』と連なる『神町サーガ』の中心的物語である。
ガルシア・マルケスの『
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』や、ウィリアム・フォークナーのヨクナパトーファサーガの影響も指摘され、書評家によっては大江健三郎や中上健次などの大家の作品とも並び称されることもある。評論家や作家からの評価も非常に高く、特に高橋源一郎や蓮實重彦などは「超がつくほどの傑作」と手放しで評価している。
ストーリー
戦後進駐軍に取り入り、町の経済を牛耳ってきた「パンの田宮」創業者一族で町の
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である田宮家と、田宮家とともに町を地下経済から牛耳ってきたヤクザである麻生家。その後継者達や、産廃処分場設置に反対する市議。高校教師。ロリコンの不良警官。町中に盗撮カメラを設置しスパイ活動する盗撮集団など、神町を舞台に様々な人間の欲望が交差する。
『砂の女』(すなのおんな)は、砂丘の穴の底にある一軒屋に閉じ込められた男と、その一軒屋に住む女とを描いた安部公房の長編小説。
1962年6月に新潮社から上梓され、英語・チェコ語・フィンランド語・デンマーク語・ロシア語等の二十数ヶ国語で翻訳された。1963年、第14回読売文学賞を受賞。1968年、フランスで最優秀外国文学賞を受賞。
あらすじ
主人公は砂漠に新種のハンミョウを採集しに向かうが、砂漠の中の村で寡婦が住む家に滞在するように勧められる。村の家は一軒一軒砂丘に掘られた蟻地獄の巣にも似た穴の底にあり、はしごでのみ地上と出入りできる。一夜明けるとはしごが村人によって取り外され、主人公は女とともに穴の下に閉じ込められ奇妙な同居を始める。
村の家々は常に砂を穴の外に運び出さない限り
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に埋もれてしまうため人手を欲していた。村の内部では村長が支配する社会主義に似た制度が採られている。主人公は砂を掻きだす作業をしながらさまざまな方法で抵抗を試みるのだが……。
1964年に、安部公房自身による脚本で、勅使河原宏監督により映画化されている。第17回カンヌ国際映画祭において審査員特別賞等を受賞したほか、第37回アカデミー賞では外国語映画賞、翌年の第38回では監督賞にそれぞれノミネートされた。武満徹による音楽も評価が高い。
『青年』(せいねん)は、森鴎外の長編小説。1910年3月から翌年8月まで「スバル」に連載。
一青年の心の悩みと成長を描き、利他的個人主義を主張した作品。夏目漱石の『三四郎』に影響されて書かれたもので、ともに青春小説の代表作。
あらすじ
作家志望の小泉純一は上京すると、著名作家のもとを訪ねたり、親しくなった医学生大村に啓発されたりしていた。ある日劇を見に行ったとき、偶然知り合った坂井未亡人と知り合い、以後親しくなる。
次第に純一は坂井未亡人のことが忘れられなくなり、未亡人を追って箱根へ向かう。だが未亡人は岡村という画家と一緒であった。純一はそこで未亡人を、美しい肉体が横たわっているだけだと感じる。そのとき純一は、何か書こうと思えば書けるような気がした。そして当初思い描いていた現代小説ではなく、伝説を元にした小説を書こうと決心する。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(せかいのおわりとはーどぼいるど・わんだーらんど)は村上春樹の4作目の長編小説。1985年、第21回谷崎潤一郎賞受賞。
概要
1985年(昭和60年)に新潮社から刊行され、後に新潮文庫として上下巻で文庫化された。また『村上春樹全作品 1979~1989〈4〉』に収録され、このとき若干の修正が加えられている。村上にとっては最初の書き下ろし長編小説であり、以後、長編は『ねじまき鳥クロニクル』を除き、すべて書きおろしの形で刊行されることとなる。また外国語訳された二冊目の小説であり、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』と並ぶ長編である。
作品は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の章に分かれており、世界を異にする一人称視点(「僕」と 「私」)からの叙述が、章ごとに交互に入れ替わりながら、パラレルに進行する。但し、厳密な意味でのパラレルとは言えない(『海辺のカフカ』の同時間軸とは異なる)。『ノルウェイの森』(単行本)のあとがきの中で、村上はこの小説を自伝的な小説であると位置づけている。
また「世界の終り」は『文學界』(1980年9月号)に発表された中篇小説『街と、その不確かな壁』に基づいているが、主人公の選択する結末はまったく逆のものとなっている。
なお漫画家の安倍吉俊はこの作品に非常に影響を受けたとされ、『灰羽連盟』において非常に多くの類似点が見られる。
2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて162万部が発行されている。
世界の終り
「世界の終り」は、一角獣が生息し「壁」に囲まれた街、「世界の終り」に入ることとなった「僕」が「街」の持つ謎と「街」が生まれた理由を捜し求める物語。外界から隔絶され、「心」を持たないが故に安らかな日々を送る「街」の人々の中で、「影」を引き剥がされるとともに記憶のほとんどを失った「僕」は葛藤する。「僕」は図書館の夢読みとして働きつつ、影の依頼で街の地図を作り、図書館の女の子や発電所の管理人などと話をし、街の謎に迫っていく。管理人からもらった手風琴によって忘却していた「唄」を取り戻した僕は、街が自らの心の生み出したものであることを悟る。地図からみつけた脱出路をとおってともに「本来の世界」へ戻ろうと誘う影に対し、自ら生み出した街の人々に対する責任を引き受け、女の子とふたりで森に住むことを決意した「僕」は、別れを告げ、「世界の終り」にひとり残る。時間軸的には『ハードボイルド・ワンダーランド』の「私」がシャフリングを行ったのと同時に(すなわち、「私」の思考システムが「第三の思考システム」に切り換わったのと同時に)『世界の終わり』のストーリーが始まるものと思われる。