リスクヘッジ手段とは?

1960年代に、三島由紀夫がノーベル賞を逃した時、「次は大江君だよ」と、当時まだ新進であった大江の名を挙げた。大江が実際にノーベル賞を受賞するのは三島の発言から20年余り経っての事となる。三島は大江を自邸のパーティに招くほど親しくしていた時期もあったが、政治思想の右傾化と共に疎遠になった。三島は大江について「東北の山奥から出てきた小娘が上野駅で女衒にかどわかされて淫売屋に叩き売られるみたいに、あいつは四国の山奥から出てきて、渡辺一夫という女衒にかどわかされて、岩波楼っていう淫売屋に叩き売られたんだよ」と揶揄したこともある[4]。 阿川弘之とは犬猿の仲であり、その著書の中でお互いを批判しあっている。 アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」を評価している。NHKの山登義明ディレクターが「世界はヒロシマを覚えているか」という番組の構想を話した時、大江は「タルコフスキーのような映像にしたいですね」といった。 また、「ストーカー」の原作者であるソ連のSF作家、ストルガツキー兄弟の作品も愛読している。1989年、大江が「世界作家会議」に出席するため、モスクワに行った際、兄のアルカジイ・ストルガツキーと対談を行い、NHKスペシャル「世界はヒロシマを覚えているか」で放映された。 『斜陽』(しゃよう)は、太宰治の小説。『新潮』に1947年7月から10月にかけて連載。同年に新潮社から刊行され、文壇から高い評価を得て、ヒット作となった。 没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした。斜陽という言葉にも国語辞典で「没落」という意味が加えられた。 太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとって「斜陽館」と名付けられた。 あらすじ 戦争が終わった昭和20年。没落貴族となったうえ、FX であった父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなったため、家を売って伊豆で暮らすことにする。 一方、南国の戦地に赴いたまま行方不明になっていた弟の直治が帰ってくるが、家の金を持ち出し、東京の上原二郎(小説家で既婚者)の元で荒れはてた生活を送る。 直治を介したかず子と上原との運命的出会いや交際、生活が苦しくかつ自身の健康がすぐれなくなってもかず子らを暖かく見守ってくれた「最後の貴族」たる母のもと日々は穏やかに流れていたが、やがて母が結核に斃れ、無頼な生活や画家の本妻への許されぬ愛に苦悩していた直治も母の後を追うように自殺。直治の死と前後して、かず子は上原の子を妊娠したこと、それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていこうとしていることに気付く。 かず子は「(不倫の子を生んだ)FX 」として、動乱やまぬ戦後社会に腹の中の(やがて生まれてくるであろう)子と強く生きていく決意を上原宛の書簡にしたためる。 作品背景 アントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を意識して書かれていて、日本版『桜の園』といわれている。また、『女生徒』『パンドラの匣』と同じく、かず子のモデルとなった太田静子の日記を参考にしている。 太宰はこの作品を書くにあたり、「先物取引 を書きます。大傑作を書きます。日本の『桜の園』を書くつもりです」と言っており、自信の深さが伺える。ただ、執筆中に静子が太宰の子を妊娠(生まれた女児が作家・太田治子である)したこともあり、終盤の展開がいささか『桜の園』から外れ、太宰・静子が実際辿った経緯が反映された感もある。また、主要登場人物四人の設定はいずれも年代別の太宰自身の投影(初期=直治、中期=かず子と母、末期=上原)が色濃い。 『首都消失』(しゅとしょうしつ)は、SF作家小松左京によって書かれた小説、並びにそれを原作とする映画である。小説はブロック紙3社連合に該当する北海道新聞、中日新聞(東京新聞)、西日本新聞にて連載された。 原作のあらすじ 日本の首都・東京を中心とする半径約30km圏(概ね国道16号の内側に相当し、立川、大宮(現さいたま市)、柏、船橋などが内包される。)が正体不明の「雲」に覆われ、「雲」の外部との連絡が途絶してしまった(電波は元より有線通信も遮断、人間や物体の出入りさえ出来ない)。東京は、日本の首都であり、政治・経済・情報発信の中枢都市である。またその機能を十分に代替できる大都市がないことから、人々は混乱に陥る。当時、東京一極集中の問題が指摘され、一連の遷都・首都機能移転(国会等移転)論議にも通じる問題意識が提起されている。 なぞの「雲」による被災当時、国会が開会中だったため、主だった政治家・本省庁局長級以上の幹部職員はほとんど全員「雲」の中に取り込まれてしまった。そのため、日本の統治機構はたちまち機能不全となる。そこで、その政治・行政の空白を埋めるべく緊急避難の法理によって、全国知事会(原作では田村宮城県知事を議長とする「緊急全国知事会議」が開催される)を基礎とした暫定統治機構(臨時国政代行組織)が樹立されるが、財政・外交を中心に問題は山積する。一方で「雲」の軍事的利用を巡って、アメリカとソ連(作品の年代設定は1980年代のため、東西冷戦の真っ只中である)のFX 激しいつばぜり合いが演じられる。 臨時国政代行組織というのは、道府県知事、同副知事、同議会議長、指定市の市長並びに被災地域にあたる東京都、神奈川県、埼玉県の代表により構成される組織のことで、空白状態にある外交、防衛をはじめとする日本国の国政運営を代行するとともに、日本国憲法に基づく新しい国会議員の選出と新政府の形成を準備する。臨時国政代行組織には、臨時国政代行機関が置かれ、各地方を代表する知事、中央省庁の地方支分部局の長、学識経験者により構成される。また組織の首席代表は、機関の長として統括する。原作では、内務省・自治省出身の小室兵庫県知事が組織の首席代表を務める。ちなみに東京都、神奈川県、埼玉県の各知事のほか、千葉県知事も、県庁は「雲」の外だが、東京滞在中に被災したため、参加していない。また、神奈川県代表として小田原市長が、東京都代表?として八王子市長が組織設立のための会議に出席している。 その後、最終的に「雲」は国際的な研究コンソーシアムにより調査が進められ、地球外生命体によって送り込まれた一種の観測機器である可能性が高いという結論に達し、継続的なモニターを行うこととなったのだが、ある日突然「雲」は消失し…。 物体O(オー) この作品には原型となった不動産 が有る。1972年に発表された『物体O』で、高さ200km、直径1000kmに及ぶリング状の謎の物体が突然大阪を中心に落下し、外部との連絡が一切途絶するという内容である。また、通信途絶状態のシミュレーションとして、突如アメリカと全く連絡が出来なくなった世界を描いた『アメリカの壁』という短編との関係も指摘されている。 映画 1987年、製作は関西テレビ、徳間書店、大映映画。 配給、東宝のSF特撮映画。 シミュレーションノベル的性格の強い原作に対し、映画は家族の絆を強調したハリウッド風味の作品となっている。前半のストーリーはほぼ原作をなぞっているが、後半は原作とは異なり「雲」に閉じ込められた人々の救出を試みる設定となっており、それに尽力する人々の姿を描いている。 映画のオリジナルで「ECMトラック」なる異常物体対策車両(リニアモーターカーの仕組みを応用して磁力を利用し、雲を不安定にして破壊するという目的の特殊車両)が登場した。 また、原作では暫定統治機構が成立しているが、映画では発足までは至っていない。アメリカによる国連信託統治案が安保理に提出されたことを察知して中田議員により臨時代行政府発足を宣言した後に「雲」が晴れたため、実際に機能していない。 『春琴抄』(しゅんきんしょう)は、谷崎潤一郎による短編小説。1933年(昭和8年)6月、『中央公論』に発表された。 概要 盲目の三味線奏者春琴に丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語の中で、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描く。句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴。 文体 春琴抄は、改行、句読点、鈎括弧などの記号文字を極力使わない特徴的かつ実験的な文体で書かれており、10行近く句点がない事も珍しくないし、文章の区切りとして数ページ毎に空行がある他は作中で一度も改行を使っていない。 通常なら明らかに句点を必要とする場所でも句点を使わずに書いてある事も多く、例えば「…した。すると…」とか「…であろう。最初は…」といった場所が「…したすると…」とか「…であろう最初は…」となっている。 あらすじ 物語は春琴の墓を訪ねる「私」のモノローグから始まる。 大阪道修町の薬種商鵙屋の次女、春琴(本名は琴)は9歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶようになった。春琴の身の回りの世話をしていた丁稚の佐助もまた三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。わがままに育った春琴の相手をさせようという両親の思惑とは裏腹に、春琴は佐助が泣き出すような激しい稽古をつけるのだった。やがて、春琴が妊娠していることが発覚するが、春琴も佐助も関係を否定し、結婚も断る。結局春琴は佐助そっくりの子供を出産した末に里子に出した。 やがて春琴は20歳になり、師匠の死を期に三味線奏者として独立した。佐助もまた弟子兼世話係として同行し、我が儘がつのる春琴の衣食住の世話をした。春琴の腕前は一流として広く知られるようになったが、種々の贅沢のために財政は苦しかった。 そんな中、春琴の美貌が目当てで弟子になっていた利太郎という名家の息子が春琴を梅見に誘って口説こうとするが、春琴は利太郎を袖にしたあげく、稽古の仕置きで額にケガをさせてしまう。その一ヶ月半後、何者かが春琴の屋敷に侵入して春琴の顔に熱湯を浴びせ、大きな火傷を負わせる。春琴はただれた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようとしない。春琴を思う佐助は自ら両眼を針で突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。佐助は自らも琴の師匠となり、温井(ぬくい)琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りの世話を続けた。 春琴は明治19年に脚気で亡くなり、佐助もまた、その21年後の明治40年に亡くなった。 鑑賞 特に春琴が就寝中に熱湯を顔面にかけられ持ち前の美貌を損なった後、佐助が自ら目を突き失明する下りは、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義を描いている。これは、初めは気高く丁稚風情である佐助との結婚を拒んでいた春琴が、年を経るうちに軟化してきたことに対し佐助が拒絶を示していることにも現れている。つまり佐助(谷崎)は、自らのマゾヒスティックな趣向を満たしてくれる女性を必要としているだけであって、献身自体が目的であるわけではないのである。実際、谷崎は自伝小説『異端者の悲しみ』の中でそのような心情を述べている。また作中で春琴は、美しく、非常に気高い女性として描かれており、常に佐助に対して高圧的に臨んでいる。しかし顔面の負傷後は佐助に対して自らの容姿を恥じるなど弱い面も見せている。